2014年12月17日水曜日

本多猪四郎 切通理作著 - 日本経済新聞

本多猪四郎 切通理作著

日本経済新聞

ゴジラを知らない人は、まずいない。だが、映画「ゴジラ」の監督とたずねられて、すぐその名の出てくる人は決して多くないだろう。「ゴジラ」と言えば、円谷英二の特撮や伊福部昭の音楽とともに語られるか、反核映画として論じられるのが常であった。監督本多猪四郎にスポットが ...ゴジラを知らない人は、まずいない。だが、映画「ゴジラ」の監督とたずねられて、すぐその名の出てくる人は決して多くないだろう。「ゴジラ」と言えば、円谷英二の特撮や伊福部昭の音楽とともに語られるか、反核映画として論じられるのが常であった。監督本多猪四郎にスポットが当たることはほとんどない。私も本書を手にしてはじめて、本多がゴジラなど怪獣映画以外にも、さまざまなタイプの作品を残していることを知った。

(洋泉社・2500円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

では、こうした本多猪四郎の語られなさは何故なのだろうか。本書は、本多が長らく「クラフツマン(職人)」としてしか評価されてこなかった点を指摘する。職人肌の映画監督の対極に位置するのは、黒澤明をはじめとする「アーティスト」たちである。映画の黄金期であった1950年代、黒澤らによって作品としての映画が作られた一方で、数多くの消耗品としての映画も製作されていた。あたかも今日のテレビ番組のように作られ、その多くがビデオ化やDVD化の機会もなく忘れ去られていく、いわゆる「プログラム・ピクチャー」の一群である。

本多猪四郎も、映画会社の求めに応じて、手早く手堅く映画を撮る監督とみなされてきた。その怪獣映画も、怪獣ブームに便乗しようとする映画会社の意向に従順であったがゆえの産物であり、やがてブームの終焉(しゅうえん)とともに本多の監督生命も終わっていった……。もしくは、本多の晩年はアーティスト黒澤明の補佐役としてのみあった……。

そうしたこれまでの本多猪四郎像に、本書は異を唱えている。怪獣映画やSF映画にしても、ただ単に会社の命に従ったのではなく、もともと「科学好き」であった本多が工夫をこらし、誠実に撮り上げたものである。黒澤の補佐にまわったのも、ひとえに本多の撮影現場への愛情ゆえであった。そして、本多の作品の根底にあった戦争体験が、丹念に掘り起こされてもいる。

評者の場合も、世代的には怪獣映画にもっと思い入れがあっていいはずなのに、子どもの時分から怪獣・怪奇映画というだけで、どこか頭からB級と決めつけ敬遠してしまうところがあった。だがそれも、振り返って考えてみれば、「着ぐるみの怪獣やアニメーションの映画は、子どもだましのものだ」という当時の大人たちの価値観を、子どもなりに内面化してしまっていただけだったのだと思う。

本多に「子どもは簡単にだませない」との信念・覚悟があったからこそ、ゴジラは今日に至るまで、スクリーンの上に生き続けているのではないだろうか。

(関西学院大学教授 難波 功士)

[日本経済新聞朝刊2014年12月14日付]

本多猪四郎 無冠の巨匠

著者:切通 理作

出版:洋泉社

価格:2,700円(税込み)

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