2014年12月17日水曜日

つながりっぱなしの日常を生きる ダナ・ボイド著 - 日本経済新聞

つながりっぱなしの日常を生きる ダナ・ボイド著

日本経済新聞

突然だがクイズの時間だ。四六時中スマートフォンをいじりながら生活し、授業中も食事中もフェイスブックの「いいね!」の数を気にしているティーンは果たして「ネット中毒のひきこもり」だろうか。もしかしたら彼/彼女はフェイスブックで100人の「友達」を登録し、学校で人気者で ...突然だがクイズの時間だ。四六時中スマートフォンをいじりながら生活し、授業中も食事中もフェイスブックの「いいね!」の数を気にしているティーンは果たして「ネット中毒のひきこもり」だろうか。もしかしたら彼/彼女はフェイスブックで100人の「友達」を登録し、学校で人気者であるがゆえにネット上でアクティブなのかもしれない。そう、もはやインターネットは「ひきこもりのオタク」たちの楽園ではなく、「社会そのもの」なのだ。

(野中モモ訳、草思社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

著者はいまや不可欠のインフラとなったインターネットの存在それ自体を善/悪とする考えから徹底して距離を取り、あくまでそれを既に存在する人間の性質や社会の傾向を可視化するものである、と主張する。

たとえば本書は「デジタルネイティブ」という存在を否定する。生まれたときからインターネットに接続された社会が存在していた彼らだが、決して新しいメディアに対応した新人類などではない。私たち20世紀に生を受けた大人たちと同じように、新時代のメディアリテラシーを教えられなければウィキペディアの記述ですら平気で鵜呑(うの)みにする。

あるいはティーンをインターネットに追いやったものは何か。本書が指摘するのは、近年のセキュリティへの親世代の意識向上(過剰?)によるストリートやモールからのティーンの排除傾向や、学校選択の普及による地域コミュニティの変化といった「大人の事情」だ。要するに大人の社会が半ば無意識に現実空間からネットへティーンの社交の場を誘導しているのであり、そして今度はかつてのストリートのようにネットが危険であると苛立(いらだ)ちを募らせている、というのだ。そう、インターネットは子どもの愚かさと大人の頭の硬さを、そして既存の階層や人種の壁もそのまま電子空間に可視化するのだ。

このように166人に及ぶティーンとその親を中心としたインタビューを引用しつつ、現代の情報社会について、ひとつひとつ「俗説」を否定してゆく著者の手さばきには圧倒的な説得力がある。しかしその明晰(めいせき)な分析を理解すればするほど、既に課題は、ネットが過剰に可視化し拡張するものをいかに活(い)かしてポジティブな社会を築くか、に移行しているはずだという思いも強くなる。これほどの聡明(そうめい)な知性が本書のようなその三歩手前の「露払い」に全力でコミットしなければならないことが、現代における人間と情報技術との幸福ならざる関係を象徴しているようにも思える。

(評論家 宇野 常寛)

[日本経済新聞朝刊2014年12月14日付]

つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの

著者:ダナ・ボイド

出版:草思社

価格:1,944円(税込み)

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